ソウルフード

ソウルフード

あなたのソウルフードは何でしょうか?

子供のことに食べ慣れた懐かしいもの?それとも今まで食べたことがない未知なもの?高級なもの?

ほとんどの方は子供の頃に食べ慣れた懐かしいものを選択するのではないでしょうか。

それがきっとソウルフードなんだと思います。

普段、スタッフは皆さんと様々な会話をします。出身地、好きな歌、歌手、趣味、どんなお仕事をされていたのか、好きな食べ物、嫌いなもの、などを聞くと、皆さん色々話してくださいます。単なる世間話のようですが、特に食べ物の話は体調が悪くなった時やお食事を摂り辛くなった時にとても大事な情報になります。

『若いころからね、何かの時には○○を食べてね。』『いろいろ美味しい物を食べてきたけど、やっぱり○○が一番だね。』『主人がよく○○を買ってきてくれてね。』『よくご飯と一緒に○○を食べたよ。』

人が生きていくためには、身体に入るもの、身体から出るものが大事ということは以前にも書いたかと思いますが、このバランスが崩れたり、また、量が減ってくると、そろそろかなと感じます。

人間も含め、動物は終末期になると摂取量が減り、体から全ての老廃物を出し、そうして静かに眠りにつくそうです。

以前、寝たきりとなった祖母の食事の支度をしていました。祖母は毎日自分の食べたいものを言ってきました。その中で一番記憶に残っていたのは白菜のお漬物。祖母は購入するスーパーまで指定してくるほどでした。

若いときから体が弱く、何度も開腹手術を繰り返してきた祖母は、60代になってからも、癌で胃や腸を切除することになりました。そのため、一度に食べる量は少なかったのですが、何度かに分け、しっかり食べないと体力が落ちるからと、私よりも量を食べる人でした。しかし、他界する2ヶ月くらい前から、食事量も減り、何品か用意しても一口か二口しか食べず、『せっかく買ってきたのに、もう少し食べて』と何度も祖母に言っても手を付けませんでした。その後、頑張って作っても、色々買ってきても、殆ど食べなくなりました。

ある日、祖母は白湯を要求し、曾孫のサポートで口に含んでから数時間後、曾孫たちの声が賑やかな自宅のリビングで眠るように息を引き取りました。93歳でした。癌で胃や腸を切除したとき、もう退院できないと覚悟して入院し、奇跡的に退院してから30年以上。大往生でした。

祖母は70歳を過ぎたころから、食が進むようにとご飯のお供として桜でんぶや金時豆を毎食白米にかけていました。大正生まれの祖母には甘いおかずがソウルフードだったのでしょう。

施設のご入居者様で、醤油がタップリと入った、卵かけご飯を毎食召し上がる方がいらっしゃいました。この方はご自宅にいたころから、毎食卵掛けご飯だったそうです。

あるはスティックシュガーでした。

そしてある方はとあるメーカー指定のバニラアイスでした。別の方でハーゲンダッツをご指定の方もいらっしゃいました。

晩年、食事量が落ちた時、このようにその方のソウルフードが分かっていると、積極的に召し上がってくださり、私たちも安心して対応できます。たった一口しか食べれなくなっても、とても満足された表情を浮かべられ、穏やかに過ごされます。

人それぞれにソウルフードがあると思いますが、あなたのソウルフードは何ですか?

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